創始者ブログ FOUNDER'S BLOG

相談役 大坪久泰
創始者 大坪 久泰

自分の意見を堂々と言える、答えのない課題に答えを導き出す情熱と勇気をもつ、
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国際社会そして教育界に貢献したい、熱い思いと高い志をもつ方を歓迎します。

2020.01.16

米寿雑感

 学校法人宮崎学園創立記念日と私の誕生日は10月12日で同じ日です。また、学園創立者で私の父大坪資秀は平成元年10月12日に他界しました。亡くなる一カ月くらい前から創立記念日まで生きていたいと願い、実際、創立49周年記念日の朝他界しました。ひたすら学園発展を考えていた生涯でしたから、看取った私たちは壮絶な感じを受けました。

 昨年10月に私は学園創立80周年記念行事に参加するため、久しぶりに宮崎に帰りました。教職員、退職者、学園外の人たちが多数参加された記念式や祝賀会は誠に良く準備され、内容が充実していて深い感銘を受けました。祝賀会では旧知の方々や在職者に声をかけて頂き、旧交を温めるとはこういうことをいうのだと思いました。その上、私が創立80周年記念日と同じ日が米寿であることを話したので、理事長始め学園幹部の方々にお祝いの集まりをして頂き、ねぎらいの言葉をかけて頂きました。

 もう一つ、かねてからの願望もありました。宮崎に帰った機会に何としても御無沙汰していた中学校(旧制)時代の恩師の仏前にお線香をあげたいと思っていたことで、これも実現できました。恩師宅では60年くらい前に私が差し上げた年賀状などが丁寧に保管されているのをご遺族の方に見せていただきました。思いがけないことでしたので、先生やご遺族の方々の丁寧さに驚いたのと、先生から頂いた手紙類を私は我が家のどこに保管しているか全く無頓着なことが恥ずかしくて、なんとも形容しがたい有難さとばつの悪さを感じました。先生が私のような不肖の教え子のことをそこまで思っていて下さっていたのかと思いました。教育とは教職員の学生・生徒個人に対する肉親のような愛情から成り立っているのだと改めて認識した次第です。

 このような思いをした宮崎訪問でした。話が飛びますが、我が家に帰ってしばらくしてから、気持ちをひかれる新聞の寄稿文を読みました。本稿は米寿雑感ですので、それに免じて、そのことも書いてみます。

 昨年(令和元年)12月22日付日本経済新聞32面(文化面)に掲載された東京大学名誉教授松浦寿輝氏のエッセイです。標題は“「教える」から「助ける」へ”です。要約してみます。

 わたしは他人との間に「権力的」な上下関係が介入することが何より苦手、というかそれに強い嫌悪感を覚えるたちである。人から威張られるのは嫌いだし、自分が威張るのはもっと嫌いだ。ところが教師の仕事は、べつだん威張る必要はないにしても、ともかく自分の方が学生よりものを知っていて、そのことだけでも最初から相手より優位に立っているという前提がある。わたしも自分が生徒になってテニスやウクレレや将棋を習ったことがあるが、そこには権力関係などむろんかけらもなかった。(それほどではないと私は思っていますけど) 実際、学問や教養の「精神的」価値を信じていたからこそ、大学に奉職する人生を選んだのだし、教室で出会う、知性にも感性にもまだ豊かな可塑性と余白を残した若者たちに、そうした価値を伝えてやりたいという使命感は当然あった。また、試験の採点や合格不合格の判定といったセレモニーは、学生の人生のその後の成り行き自体に大なり小なり影響を及ぼしかねず、その責任を思えば粛然とせざるを得ない。つまり大学の授業は、自動車運転の教習のような「インストラクション」ではなく、学生の(そしてもちろん教師自身の)人生と人間性そのものに関わる、「全人的」な「エデュケーション」行為たらざるをえないということだ。インターネット時代に入って以降、情報伝達の回路や速度が前時代とは大幅に変わってきた。たんに知識の獲得だけが目的なら、わざわざ教室まで出かけていって話を聞くより、パソコンで検索して然るべきサイトを覗いた方がずっと効率的だったりする。そういう時代における教師の仕事は、知識それ自体を伝授するというよりむしろ、その知識を持つことにどういう意味があるのか、それによって解明できないどのような領域があるのか、知識と知識を連結することでどういう新しい世界が開けるか、等々を教えるということになるだろう。これからの大学教師の役割は、知識や技術を「教える」ということよりもむしろ、学生がそれらを通じて自分自身を発見してゆくのを「助ける」ということになってゆくのではないか。「ヘルプ」と叫んでいる若者たちはどの時代にも沢山いる。大学の先生も我こそ「プロフェッサー」なりと胸を張るのではなく、たんに「ヘルパー」と名乗ったらどうなのか。

 以上が松浦寿輝氏のエッセイの論旨です。成程と思いました。前回紹介した北村秀秋氏の「紙と鉛筆と数学」に述べられている算数や数学を子供たちに教えるという教育活動も、松浦寿輝氏の大学教育論も共通しているのではないかと思えてきました。つまり学生や子供を個人的愛情と言ってもよいヘルパーの精神で導くのが教育ではないかと思います。受け取った年賀状を何十年も大切に保管しているような、教え子を尊重する精神性こそが教育者の心髄ではないかと思うのです。

 後日談もあります。宮崎から我が家に帰って恩師のご令息にご両親の写真のコピーを頂けませんかとおねだりしました。快く十数葉の写真を送って下さいました。恩師の写真は何れも優しさがにじむお姿ですが、どうしてか私には先生の口癖だった「何事にも答えはあるよ」という厳しさを感じます。数学が専門だった先生は答えは必ずあると指導しておられましたから、答えのない課題に挑むなどと唱えていることは軽率ではないかと思ったりします。先生の毅然とした姿を想いだして「先生の想い出」に甘えてはならないと思い直しているところです。