創始者ブログ FOUNDER'S BLOG

相談役 大坪久泰
創始者 大坪 久泰

自分の意見を堂々と言える、答えのない課題に答えを導き出す情熱と勇気をもつ、
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2019.04.23

新渡戸稲造(10)

第14章 黙思
精神的食物
 キリストは「汝が祈るときは、一室にこもって戸を閉ざせ」と教えた。祈祷というと宗教くさくなり、迷信という人がいるかもしれぬ。祈りというのは天に向かい、自分の注文の目録を読みあげることではない。天地の霊と交わることである。相手は人間ではなく、人間以上のものと交わるのである。祈りをしていることを、たとえ世間が褒めても、いい気になるのは間違いで、代わりに世間から謗られても屈してはならない。人間以上のものがあなたの耳に何かをささやいている、その声を聞くと解釈したら、祈りは迷信にはならない。ここで言いたいのは沈思黙考する必要があることを説いているのである。
 身体の疲労を癒すためには、適度の食事で身体の栄養状態を良好にする必要がある。精神もまた肉体と異なることなく、常に適切な食物を与えて、精神的飢えを防がねばならない。しかし現在の(100年前)東京の生活では、この精神的食物をとる余裕が、全く欠けているとしか思えない。地方の人たちは静かに冥界に遊ぶことを楽しみとしているであろうか。機会があり次第、東京に出かけて、喧騒で厄介な、うるさい潮流の中に浮沈することを希望しているのではあるまいか。こういう生活状態では、都会はもちろん、田舎にいても精神的食物を静かにとることはできないであろう。
黙思の必要
 最近読んだ外国の雑誌に、労働問題解決の一手段として面白いことが書いてあった。ベルギーの僧侶が考えたことで、1年に1回か1ヵ月に1回、多数の労働者を寺院内に集め、静思して修養に精進させる方法である。この方法は実験の結果、すこぶる好成績を挙げたという。工場内で営々と働く人たちはガヤガヤしている環境のなかにいる(100年前の状況をここでは述べています。最近の工場は静粛で、騒がしくはないようです。) が、ガヤガヤを引っ込めて静かに黙思することは心の修養になるし、身体も強壮になり、落ち着きが出てくる。落ち着くから判断が明瞭となる。身体がよくなり、判断が明らかとなるから労働の効果が増加する(生産性がよくなる)。黙思の効能はここに述べた通りであり、心を労する人々ではもっと効果があると思う。忙しいと言って毎日の仕事にあくせくし、少しの余裕もなければ命の根が枯れてしまう。清らかな川の河畔や木々の間を歩き、煌々と照る名月と語り、満天の星を眺めれば心が安まる。(本学キャンパスの自然環境を述べているかのようです)。世の喧騒を離れて一日に5分でもよいから、若い人たちが、このような環境に身を置くことを望む。およそ物に本末あり、事に順序がある。本末を見、順序を定めて行えば、忙しい間にもできないことではない。
 黙思の方法はどうするか。一日のなかで一定の時間を決めて行うのが良い。着衣は正さないでもよいが、姿勢は正しくしたい。できれば人の出入りのない部屋で毎日きちんと黙思するのが良い。静かに黙思すれば、身は全く世間を超脱するであろう。時刻をいつと限ることはないが、最初は時間を定めて行うのが良い。
 黙思する場所は定めておくのが良いと思う。文豪カーライルの金言に「蜂は暗闇でなければ蜜を作らぬ。脳は沈黙でなければ、思想を生ぜぬ」とある。最も大切なのは内部の沈黙であるが、内部の沈黙は外部の沈黙によって援けられるものである。「我のみ」という境遇を自由自在に作ることができるようになれば、外部の沈黙は要らぬ。

 この後、第15章に暑中の修養、第16章に暑中休暇後の修養、第17章に迎年の準備のことが述べてありますが、あまりにも長くなるので、割愛することにしました。
 新渡戸稲造「修養」は約110年前に出版された書物ですから、口語体とはいえ、文体には文語調が残っていて現代文とは少し異なります。要約するにあたって、できるだけ原文をそのまま使うようにしましたが、分かりにく思われるところは現代文調に変えました。「武士道」は前にも述べたように原文は英語で、私の知らなかった単語が頻出して読解が困難でした。分かりやすい現代文に翻訳した書物もありますが、その中には和歌や漢詩などが引用されていて、それらも概して難解です。しかし、「修養」は記述が具体的であり、分かりやすい文章で綴られています。要約を作る必要があるのかと自問しながら、このシリーズを書きました。要約を書くにあたって、内容の取捨選択は全く私の独断で行いました。要約を作ったのは、若い人たちが、この要約を読んでくださって、興味を喚起され「修養」を読んでくださることを望んだからです。もちろん私自身の勉強のためでもあります。
 私自身の感想ですが、「修養」を若いときに読んでおけばよかったとつくづく思いました。私はこの「修養」を今回は繰り返し熟読しました。若いときに、このような本があることを知らなかったのは残念です。読んでいたら違った人生を送ったかもしれないと、身勝手なことを読書中に幾度も思いました。
 要約にあたって、新渡戸稲造の個人的にわたる記述や意見で割愛した部分がかなりあります。例えば、どうしたら月給が上がるかというような助言です。
 「修養」を繰り返し読めば読むほど新渡戸稲造に対する尊敬の気持ちが深まりました。それは新渡戸稲造が抽象論・概念論や、きれいごとを書かず、徹底して具体論を書いているからです。新渡戸稲造は高いところにいる人ではなく、身近にいるざっくばらんな方です。気さくに話をし、親しく振る舞われる偉人です。きっと話しかけやすい大先生だったように思えます。読んでいる間に度々そう思いました。