創始者ブログ FOUNDER'S BLOG

相談役 大坪久泰
創始者 大坪 久泰

自分の意見を堂々と言える、答えのない課題に答えを導き出す情熱と勇気をもつ、
先の見えない時代に求められる人材を育てる大学です。
国際社会そして教育界に貢献したい、熱い思いと高い志をもつ方を歓迎します。

2018.07.19

私欲を去れ

 今、NHK総合テレビでは日曜日の夜8時から大河ドラマ「西郷どん」が放送されていて人気番組だそうです。私も家族と一緒に毎週楽しみに見ています。このドラマは林真理子さんの原作をドラマ化したものですが、調べてみると西郷隆盛を扱った歴史小説は大勢の作家によって沢山創作されています。中でも大作と思うのは海音寺潮五郎氏の「西郷隆盛」です。角川文庫新装版一~九まで9冊もあり、各冊の厚さは2cm足らずの文庫本ではありますが、昔の人の人名が覚えにくいのと、難しい単語が多用されているので、読むには時間がかかります。全巻を通じて作者の推量もありますが、歴史的な資料に基づいて記述されています。海音寺氏にはこの他に西郷隆盛に関する著書が数冊ありますから、この作家の西郷さんに対する思い入れの大きさが解ります。海音寺氏が鹿児島出身ということも関係があるようですが、西郷さんという人物に対するほれ込みようが読んでいると切々と伝わってきます。

 学校法人宮崎学園を創立した私の父で初代理事長の大坪資秀は鹿児島出身で、生涯を通じて西郷隆盛を敬愛していて、客間の欄間の上に西郷南洲筆「敬天愛人」の横書きの額を掲示し、床の間には西郷さんの揮毫した漢詩などを色々取り替えながら展示していました。模写であったと思いますが、それらについて子供たちに語ることは何故かありませんでしたが、西郷さんの教えをいつも想っていたのだろうと思います。あるいは西郷さんの人柄に海音寺氏のように、ほれ込んでいたのかもしれません。私が理解している西郷さんはスケールが大きく、考え深さの中に深慮遠謀の緻密さをもち、他人に対しては愛情深くて人情があり、学問好きで勉強家、決断力があるというほれぼれするような人柄の人です。体が大きく、大きな澄んだ眼だったということにも西郷さんの人柄が現れているようです。西郷さんの生涯は悲劇的で波乱万丈の生涯だったのですが、今はどうしてかユーモラスな西郷さん像が商業主義に使われているのを時折見ます。東京上野の西郷さん像も実像とは違うという説もあります。歴史上の人物はときに歪曲されて伝えられることがあると言いますから、ひょっとすると、その例かもしれません。

 今回のブログの表題は「私欲を去れ」としました。それにしては本題に入る前に前置きが長くなってしまいました。それでもまだもう少し前置きがあります。

 西郷さんは幕末の薩摩藩の藩主島津斉彬公を崇敬し、また斉彬公に用いられた人ですが、斉彬公亡き後は薩摩藩における事実上の最高権力者であった弟の島津久光と意見が合わず二度も遠島になっています。最初は奄美大島でしたが、二度目は徳之島経由で沖永良部島です。沖永良部島では最初は壁無しの牢に入れられて生命の危険にも曝されたようですが、島の素封家で与人(村長)と間仕切横目(郷中監査役)とに任ぜられている土持政照の機転によって援けられ、形ばかりの牢で土持に請われて島の子供たちの教育にあたりました。

 人間は現実面から遠ざかっていると、しぜん観念的になって、ただ「頑張れ」というような言葉が増えて、何を頑張るのかが曖昧になっている場合があります。しかし、沖永良部島で西郷さんの塾生の一人であった操坦勁(みさおたんけい)は明治時代に長生きして島の発展の功労者として銅像まで建立されている立派な人物ですが、次のように西郷さんのことを述懐しているそうです。「南洲先生が我々に最も力をこめて教えて下さったのは、“私欲を去れ”ということであった。美味あれば一家そろって少しずつでもひとしく食べ、衣服など新調する時は、必ずよいのを年上のものにゆずって、自分の様子をかまわぬようにせよ、すべての悪の根本は私欲にとらわれるところにあるのだから、その根本を断つことが肝心である。人間は欲さえ忘れれば、しぜんに愛情が深くなって天地の慈愛とひとつになれるものであると、いつも教訓なさった」(海音寺潮五郎「西郷隆盛」二p63)。

 西郷さんの教育は仲間と仲良くせよ、年長者に対しては敬意を払えというような観念的な指導ではなくて、具体的な指導に徹しているところが印象的です。実際、西郷さん自身も生涯を通じて私欲のない生活をされたと伝えられています。明治の新政府を去った最大の理由は新政府の人たちが私腹を肥やしていたことに対する反発だったとも伝えられています。彼は文字通り「私欲を去る」生活を実践していたものと思います。

 征韓論や西南戦争のことについては色々な論評がありますが、時の成り行きがあって一概に論評することには無理があるようです。ただはっきり言えるのは西郷さんが人格高潔な悲劇的な革命家であったことです。

 本稿では教育者としての西郷さんが観念論ではなくて「私欲を去れ」と子供たちに教訓を与えた具体性をもつ教育者でもあったことを述べたかったのです。

 教育ではきれいごとの建前論が横行します。それは教育者の自己満足にすぎないし、実際に人を育てることには無力です。西郷さんのように欲を去るとは具体的にどうするのかを説いて聞かせる誠実さが絶対に必要です。それでなければ教育はできないのです。

 本学教育学部は西郷さんのような考えをもつ教師の育成を目指しています。きれいごとの建前だけを言って済ませるような先生ではなく、本気で子供たちを具体的に導く教師の育成を目指しています。