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相談役 大坪久泰
相談役 大坪 久泰

自分の意見を堂々と言える、答えのない課題に答えを導き出す情熱と勇気をもつ、
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国際社会そして教育界に貢献したい、熱い思いと高い志をもつ方を歓迎します。

2018.04.11

教養教育

  このブログでは「教養」について度々書いてきました。私の前著「大学考」にも述べましたように、中央教育審議会は2002年(平成14年)に「新しい時代における教養教育の在り方について(答申)」というA4版の洒落た冊子を刊行しています。各界の方に「教養教育の在り方とは」と問い、その回答をまとめて冊子にしたものです。その冊子の内容に関連して、後に文部科学省の担当責任者が教養とは何かを問えば、百人百様に答えが返ってくると述べておられたのが、いつまでも記憶に残っています。つまり、この方だけではなく世間の大多数の人たちは教養とは人によって定義が違うと考えているのではないかと思ったからです。

 古いことで正確な記憶ではありませんが、20年近く前、高等教育関係者の会合で「高等教育における教養教育」をどうするかをテーマにしたパネルディスカッションに参加したことがあります。パネラーは著名な大学の学長3人の方々でした。会合の始めに司会者からパネラーに特に聞きたいことがあれば申し出るようにとの案内がありましたので、私は「教養」をどのように定義されておられるかをお尋ねしました。3人の方々は一致して阿部謹也氏の定義であるとの回答でした。

 歴史学者で一橋大学の学長も務められた阿部謹也氏は「教養とは何か」講談社現代新書Y640の中に「教養がある」のはどういうことかを述べています。「自分が社会の中でどのような位置にあり、社会のためになにができるかを知っている状態、あるいはそれを知ろうと努力している状況」であって、例として農業に従事している人は自分たちが人類社会にいかに貢献しているかを知っている。つまり、集団的教養をもっていると説明されています。阿部氏の定義はすっきりしています。

 教養という言葉は大勢の方が色々と定義されるので混乱があるように思えます。それは福沢諭吉翁が啓蒙思想に基づいて実学が大切だということを明治初期に唱えたので、その反動として教養という言葉が使われたからかもしれません。

 実学という言葉にも混乱が起こっています。最近では実学、つまり大学卒業後すぐに職場で戦力になる能力を身につけるという意味で実学教育を唱える大学が増えてきました。この考えは福沢諭吉翁が提唱した思想に基づく実学ではなく実用学です。しかし、大学を卒業して社会に出て職に就くとすぐ役に立つような技能を身に付けることを最近では実学と呼んでいるようです。諭吉翁が主張したのは詩歌管弦にうつつをぬかすようなことを戒め、先進的な西欧文明に追いつくために簿記会計などの実学に励めと述べたのであって、実用学が大切だと主張したのではないと思います。つまり「実」のある学問に励むことを勧めた啓蒙思想だったはずです。文学、哲学、考古学などを学んでも意味がないと考えたわけではないと思います。最近、実学と唱えているのは実用学というより何となく響きが良いというだけの理由で実学と称しているだけではないかと思います。現在、文部科学省は専門職大学ということを提唱しています。この考えもいま世間で言われている実学の考えと同根だと私は思っています。

 阿部謹也氏が前掲著書の「まえがき」に述べていますが、教養という言葉はある種の威圧的な響きがあり、「あの人は教養がある人だ」という言葉を聞くと、そばにいる人は自分に教養がないことがあげつらわれているように思ってしまうというのです。田山花袋や有吉佐和子が読めないと教養がないと思われるのではないかと懼れます。一般的には教養がある人というのは、多くの書物を読み、外国語などにも通じていて普段の言動においてもバランスがよい人のことをいうようです。しかし、最初に書いた「教養教育の在り方」に述べられている教養には単に知識だけではなく人格、つまり徳育も含まれています。こうしてみると、教養ということは大変個人的なとらえ方をされていることが分かります。それでよいのかと疑問に思うのです。

 ところが、阿部氏は前述の著書「教養とは何か」の中に結論として、教養があるということは「世間」の中で「世間」を変えてゆく位置にたち、何らかの制度や権威によることなく、自らの生き方を通じて周囲の人に自然に働きかけてゆくことができる人のことをいうと述べています。つまり、集団的教養のことが述べられているのです。そこでまた問題があります。「世間」という言葉が出てきましたが、世間とは一体何かということです。阿部氏には「世間とは何か」「近代化と世間」という著書がありますので、後日紹介したいと思います。

 教養について何をいまさらこのブログの中で色々述べるのかと思われるかもしれませんが、本学には国際教養学部があり、また教育学部には忍ケ丘教養(忍ケ丘は大学キャンパス地名の通称)というプログラムがあります。教養学は本学カリキュラムの核になる教科ですから、もう一度しっかり考え直しておきたいと思っているのです。