創始者ブログ FOUNDER'S BLOG

2018.07.02

家族や友人の絆

 今年の3月の卒業式(平成29年度学位授与式)に卒業生にメッセージを送ったところ、保護者を含めた10人近い人たちから「とても良いメッセージなのでコピーを欲しい」と言われて少し驚きました。取り立ててよい言葉を贈ったとは思っていなかったので意外でした。メッセージの趣旨は卒業して社会にでたら、家族を大切にすることが第一で、すべてはここから始まるという趣旨のことを述べたものです。自分自身のことを反省して、自分は本当に家族や友人たちを大切にしてきたか反省したときに、偉そうにこんなことを言える資格があったのかと忸怩たる思いはしました。

 話変わって、先日、日本経済新聞平成30年6月29日付夕刊に情報技術革命期の申し子と私が勝手に思っている批評家の東浩紀氏が「情報技術によるコミュニケーションの進歩や社会変革の可能性を信じてきた。けれどもこの数年で考えが変わっている。情報技術にあまり大きな期待を寄せていない」と述べています。情報技術と言えるほどの大げさなものではないのですが、身近なパソコン、タブレット、スマホの取り扱いに振り回されてディジタル・デバイド感というか、何となくディジタル劣等感をもっている私には意外な感じがしました。

 東氏の言われることをよく読むと、新しい情報技術では「無名の書き手が一晩で何百万もの支持者を集めることができる。けれども人生にはトラブルがつきもの、どんなに誠実に生きていても、誤解や中傷に曝されることが必ずある。そのときSNSの支持者はほとんど役に立たない。匿名の支持者は、トラブルの話題自体すぐに忘れてしまう。」「継続的に助けてくれるのは、結局は面倒な人間関係に支えられた家族や友人だったりする」というのです。

 私も80歳半ばを過ぎて人生を振り返ると、色々なことがあったけれども、無条件で助けてもらったのは両親であり、上司、先輩、同僚、配下の人たち、両親の友人・知り合いであったり、胸を張って優しくしたとは言えない家族や、信義に篤い友情をもって接したとは恥ずかしくて言えないような友人たちに、ここはというときに思いがけない一言に助けられたと切なくなるほど思い出します。それは断片的なごく短い言葉であったと思います。

 東氏が書いておられるように家族や友人との時によっては小さく面倒な関係をどれだけ濃密に作れるかで、人生の広がりが決まるのだと思います。東氏曰く「家族も友人もあっというまには作れない。面倒な存在でもある。だからこそそれは変化の受け皿となる。面倒がないところに変化はない。情報技術は、面倒のない人間関係の調達を可能にしたが、それはまた人間から変化の可能性を奪うものであった。」と。

 最後に年長者であることに免じて一言。家族や友人は存在するものではなく作り上げるものです。偉そうで御免!